谷川俊太郎「かなしみ」

谷川俊太郎さんの詩を目にしたことがある方は多いと思いますが、はじめの頃の作品をご覧になったことはありますでしょうか。

谷川俊太郎さんの第一詩集『二十億光年の孤独』は、1952年(昭和27年)に刊行されました。十代の頃に書かれたこれらの詩は、人々を驚かせるような清新さがありました。

これからこの詩集に収められている、「かなしみ」という詩を紹介しますね。

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谷川俊太郎「かなしみ」

かなしみ

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

詩の鑑賞と解説

言葉のイメージ

「あの青い空の波の音が聞えるあたり」とは、どんなところなのでしょう。

空と海がひっくり返って混沌としている場所なのか、はるかな宇宙から生命のみなもとがほとばしっている場所なのか。

思い出そうとすればするほど、むしょうに懐かしさでかき立てられていくのに、どうしても記憶に靄がかかってしまいます。それでいて、どうしようもなく心に穴が開いて、しんと澄み切っています。

「何かとんでもないおとし物」の、「とんでもない」という重大さだけは覚えているのに、何をおとし物したのかさえ忘れてしまっているのも謎です。

透明な過去の駅の遺失物係は、どこか冷たくて事務的なところだったのでしょうか。

「僕」が脳裏に引っかかった残像を、何とか言葉にしようとして、かえって悲しみに暮れるさまが、自分のことのように感じられます。

そう、私も十代の頃にこの詩に出会ったのですが、この詩がまるで自分のことを言い当てているように感じられました。

不思議と共感?

「ああ、私のことが書かれている!」

「かなしみ」を一目みて、そう叫びたくなるような思いにかられた人は、実はとても多いのではないでしょうか。

確かにこれは、谷川俊太郎さんだけしか書けなかった言葉かもしれません。

それでも、ここに書かれている世界には、誰にとっても懐かしい何かがあるような気がします。

(それを読む人に微かに思い出させて、肝心なところは思い出させないので、いい意味でのもどかしさがあります)

「かなしみ」は谷川俊太郎さんにとって、はじめの頃の作品だと、最初に書きました。

でも、詩作をはじめるよりも以前の、誕生する以前のルーツが、言葉の裏にひそんでいるような気さえします。

「かなしみ」をめぐる考察

「かなしみ」の詩に不思議な共感を覚えるのは、私だけでしょうか。

谷川俊太郎さんの友人である、大岡信さんと茨木のり子さんの言葉を引用して考察します。

大岡信さん

谷川の詩にも感傷性がないとはいえないが、『二十億光年の孤独』の中の、短いがいつまでも記憶にのこる佳品「かなしみ」にあらわれているような感傷は、たとえば萩原朔太郎、たとえば三好達治、たとえば中原中也、たとえば立原道造といった詩人たちの詩にみられる感傷とは、非常に質のちがったものである。
それはいわば、自分はひょっとしたら、地球という小さな惑星へ置き去りにされた別の天体のみなし児ではないのか、というような、少年にある時期訪れるあのふしぎな遠さにみちた孤独感といったものにちかい。
(中略)
二十億光年の孤独という言葉の意味も、単に少年期から青年期にうつりつつある谷川俊太郎個人の孤独というということではなかろう。むしろ地球人なるものが、この二十億光年のひろがりをもつ大宇宙の片隅で、時おり感じとる、人類的な孤独感をさしているだろう。

引用元:空の青さをみつめているとー谷川俊太郎詩集Ⅰ(角川文庫)

谷川俊太郎さんの「かなしみ」は、少年期にある孤独感であること。

そして、「かなしみ」を含めた初期作品が、個人的なものというより人類的な孤独感を現わしていると、大岡信さんは解説しています。

茨木のり子さん

「私はどうして今、ここにいるのだろう」
「いったい何をやっているのだろう」
「なんのために生まれてきたのだろう」
思い出せそうで、うまく思い出せない世界。両親がいたから生まれてきた間違いはないけれど、もう一つ別の、抽象的なルートに思いを馳せるようになったとき、人は青春の戸口近くに立ったことになるのでしょう。
日本語には<ものごころつく>という味わい深い言いかたがありますが、体がつねに細胞分裂をくりかえして大きくなってゆくように、心の世界でも幼年時代の単一さから、分裂の気配をみせはじめます。自分を客観的にとらえようとする動きが出てきて、さまざまな欠落感に悩まされるようになります。「かなしみ」という詩も、そんな問いの一つかもしれません。

引用元:詩のこころを読む(岩波ジュニア新書)

自分が何のために生まれて、どうして生きているのか。

そのルートに思いを馳せるようになるのが、青春期であること。

自分が何者であるか客観的にとらえようとして、欠落感に悩まされるようになること。

谷川俊太郎さんの「かなしみ」の詩には、そんな問いの一つが書かれていると、茨木のり子さんは仰っています。

青少年期の孤独・人類的な孤独

大岡信さんと茨木のり子さんの言葉をまとめます。

「かなしみ」にみられる孤独感は、少年期や青年期にみられやすいもの。

個人的というよりも、人類的な孤独であること。

そう考えたとき、この詩に不思議な共感を覚えたとしても、何もおかしなことはないです。

【まとめ】唯一無二でも共感できる詩

谷川俊太郎さんの初期作品、「かなしみ」について紹介しました。

このような詩を書けるのは、後にも先にも谷川俊太郎さんしかいません。しかも十代でなければ、書けなかったと思います。

まさに唯一無二ですね。

それでもここに表現されている「かなしみ」は、多くの人に通じる何かがあります。

それは青少年期にみられる孤独や、人類にみられる孤独とも言えるでしょう。

だから不思議と共感して、万有引力のように惹きつけられてしまうのですね。

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