高田敏子「忘れもの」…夏休みよ、もう一度。

子どものころは、夏休みが終わるのが寂しくて、あの自由気ままな日々が戻ってきてほしいと感じた人は多いのではないでしょうか。

特に今年(2020年)は、例年よりも早く夏休みが終わる地域もあり、子どもたちが可哀想です。

そんな子どもたちの気持ちを代弁した、高田敏子さんの「忘れもの」という詩をお届けします。

忘れもの

入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて

けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている

だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ

迷まよい子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない波の音

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高田敏子「忘れもの」~鑑賞・解説~

夏休み明けの風景

「忘れもの」は、少年の「ぼく」が、夏休みの「キミ」に対して呼びかける詩です。

少年は夏休みのことを、まるで親友のように感じていたんですね。夏休みが遠くへ行ってしまって、名残り惜しく思っています。

空のあちら側にいる夏休みに向かって、少年はこちら側に「忘れものを取りに戻ってこないかな」とお願いします。

忘れものとは、夏休みが置いていった「迷い子のセミ」「麦わら帽子」「波の音」などなど。

子ども心を思い出させる詩

  • 夏休みを人に例えているところ。(いわゆる擬人法)
  • 「忘れものを取りに戻ってこないかな」とお願いしているところ。

以上の二点が、子どもらしいユニークな発想で、微笑ましいですね。

そういえば私も小さな頃は、あらゆる物が人間のように生きていると感じていました。(「セミさん」とか、「麦わら帽子さん」とか、「さん」付けで物をよく呼んでいましたもん)

それからおっちょこちょいで、忘れものを取りによく家に戻っていました。

「忘れもの」の詩は、大人にとって、忘れていた子ども心を思い出させる力があるように感じます。

作者の高田敏子さんは、この詩について次のように仰っています。

わたくしは海が大すきです。それで海ですごせる夏休みが一年の中の一番のたのしみでした。夏休みが終わって海辺から帰ってきても、わたくしの心はまだ海辺で遊んだことばかり思いつづけました。
九月のはじめに台風が来ると、急にすずしくなって、もう夏はおしまい。ああ残念だなあと、子どものころに思ったその気持を書いてみました。

引用元:詩の世界(ポプラ社)

夏の終わりと海の詩

高田敏子さんは、夏の終わりや海を描いた詩が多いです。

このブログでもいくつか紹介しています。もしよかったらご覧くださいね。

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