高田敏子の詩「布良海岸」

高田敏子さんは海にまつわる詩を、いくつも書かれています。今回はそのうちのひとつ、「布良めら海岸」を紹介いたします。

母親や詩人というよりも、ひとりの大人の女性としての、生の声が感じられます。

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高田敏子「布良海岸」

布良海岸

この夏の一日
房総半島の突端 布良めらの海に泳いだ
それは人影のない岩鼻
沐浴のようなひとり泳ぎであったが
よせる波は
私の体を滑らかに洗い ほてらせていった
岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと
私の夏は終わっていた
切り通しの道を帰りながら
ふとふりむいた岩鼻のあたりには
海女が四五人 波しぶきをあびて立ち
私がひそかにぬけてきた夏の日が
その上にだけかがやいていた。

高田敏子「布良海岸」

「私の夏は終わっていた」

「布良海岸」の詩に心臓があるとすれば、まさにこの一行でしょう。

私の夏は終わっていた

この一行でしか「夏の終わり」は語られていません。それでも、読後あらためてふり返ってみると、この一行から詩のすみずみに寂しさが脈打っているようです。

それは今年の夏の終わりでもあり、人生の夏の終わりでもあります。

詩の解釈例

では、詩の流れを追ってみましょう。

夏の一日、「私」は布良の海で泳ぎます。

それは人影のない岩鼻/沐浴のようなひとり泳ぎであったが

ひとりで泳ぐのは、誰にも素肌や肢体をさらしたくないという恥じらいがあるからでしょう。

女性は幾つになっても恥じらいがありますが、ここでの恥じらいは少女のそれとは違って翳りがあります。

よせる波は/私の体を滑らかに洗い/ほてらせていった

「私」の肉体は、まだまだ官能的な微熱をおびています。

線香花火が最後にいっそう明るく燃えるように、私の体も女ざかりの、最後の輝きを放っているかのようです。

私の夏は終わっていた

そして知らない間に、夏に終止符が打たれていたことに気づきます。

どんな季節も明確な終わりが分かりません。後からふり返って終わりを思い知らされるから、余計に切ないです。

話は飛びますが、好きな人と抱き合った後、男性にはあまり余韻が残らないそうですが、女性には余韻がいつまでも残ります。抱擁の終わりは、男性にとってはカットアウト、女性にとってはフェードアウトなのかもしれません。

この詩の「私」も、海に抱かれた余韻に浸っているなかに、夏がいつの間にか終わっていたことを知ったのではないかと思います。

海女が四五人/波しぶきをあびて立ち

「私」は「海女」のはじけるような様子に、かつての自分の青春を重ねます。

私がひそかにぬけてきた夏の日が/その上にだけかがやいていた。

人生の盛りを通り過ぎて、青春の輝きを遠くから眺める、もの寂しさがあります。

・・・以上、「布良海岸」を読み解いてみました。

わかりやすい口調で書かれていますが、内容は奥深いです。しかも言葉に手ごたえがあり、たしかな肌触りが感じられます。

布良海岸について

最後になりますが、舞台である布良海岸について触れますね。

布良海岸は千葉県の南端・館山市にあります。

明治時代に画家の青木繁が滞在して、代表作「海の幸」を描いたことで有名です。

「海の幸」重要文化財 パブリック・ドメイン(引用元:ウィキペディア)

明治に描かれた「海の幸」と、昭和に書かれた「布良海岸」では、海岸の様子はだいぶ異なるでしょう。それでもこの絵を観ていると、「布良海岸」の海女たちにも、ある種の野性味やエキゾチックな雰囲気があったのではないか?と想像してしまいます。

なお布良海岸には、高田敏子さんの詩碑も、青木繁の記念碑もあります。

 

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