谷川俊太郎の詩「黄金の魚」

谷川俊太郎さんは、スイスの画家であるパウル・クレーの絵をモチーフにして、いくつも詩を生み出しています。

そのうちのひとつ、「黄金の魚」という詩を紹介します。

黄金の魚

おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

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谷川俊太郎「黄金の魚」~鑑賞・解説~

パウル・クレーのプロフィール

まずはこの詩のイメージの元となる絵を描いた、パウル・クレーについて触れますね。

1879年、クレーはスイスのベルン近郊で生まれました。

音楽教師の父と、声楽を学ぶ母の元で育ち、クレー自身もヴァイオリンの腕はプロ級でした。

音楽・文学・絵画に興味を抱きましたが、迷った末に絵の道を進むことに。それでもなお、ヴァイオリンと詩作は続けました。

絵画グループ「青騎士」のメンバーとして、カンディンスキーらとともに活躍して、バウハウスでは教鞭をとりました。

晩年はナチスによる迫害と、皮膚硬化症という奇病に悩まされましたが、創作意欲を燃やし続けました。

1940年、療養先の病院にて永眠。

クレーの作品には音楽性とポエジーがあり、今もなお多くの人を惹きつけています。

パブリック・ドメイン(引用元:ウィキペディア)

「黄金の魚」で描かれているテーマ

さて、パウル・クレーの絵画「黄金の魚」に、谷川俊太郎さんは先ほど紹介した詩をつけました。

もしたとえ、クレーについて全く知らなかったとしても、この詩は充分心に響きます。

私たちは、ほかの生き物から命をいただいて、生きています。

幸せの陰には、だれかの不幸があり、喜びの陰には、だれかの涙がとけています。

金子みすゞさんの有名な詩、「大漁」にも描かれている通りです。

大漁

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

私たちは、お魚をはじめとした生物たちを糧としていることを、毎日のように深く感じることはできません。

そのことを四六時中考え込んだとしたら、心があまりに痛くて、壊れてしまうからです。

でも、谷川俊太郎さんの「黄金の魚」や、金子みすゞさんの「大漁」のような詩に触れると、ほんとうに大事なことを思い出すのですね。

「ああ!そうだ!私は生かされているんだ!多くの死んだものたちによって…」と。

目をつむってしまいがちなこの事実を、ハッと気づかせてくれるところに、これらの詩の重みがあります。

「黄金の魚」は、ひらがなだけで書かれていて、とても読みやすいですけど、軽くはありません。ずっしりと重いです。

いい詩は人を沈黙させる

ところで詩のなかには、一目見たときから思いがわっと込み上がるのに、何を言っても表現しきれないような気がして、何も感想が言えなくなってしまうような詩ってありませんか?

私にとって「黄金の魚」は、まさにそんな詩のひとつです。

こうして記事は書いていますが、できれば静かに感動を味わっていたいです。

いい詩は、人を沈黙させてしまうような力があるのですね。

 

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