山村暮鳥の「雲」という詩を紹介します。
同じ題の詩集『雲』に、二つ並んで掲載されていて、二番目の詩には「おなじく」という題が付けられています。(つまり、両方とも「雲」という題という意味ですね。)
この詩が多くの人に愛されている理由にも、あわせて触れてみたいと思います。
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめているおなじく
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか
山村暮鳥「雲」~鑑賞文~
まるで子どものように素直な詩ですね。
余計なものが何ひとつない、こころの声そのままです。
ここに書かれているのは、雲も、作者の暮鳥も、そして読者である私たちも、同じ空に優しく包まれて生きている世界です。
私はこの詩に触れていると、遥か彼方に浮かんでいる雲や、ずっと昔に亡くなられた暮鳥が、ぐっと身近に感じられて嬉しくなります。
一番目の詩は、子どもとお年寄りが同じように雲を眺めているのが、長閑でほっとしますね。
二番目の詩は、「おうい」と初めに呼びかけていることで、果てしない青空が目の前に広がっているかのように感じられます。「ゆうゆう」「のんきそう」という響きに、ふんわりした白い雲が流れていくのも思い浮かぶようです。
それでいて、雲に対する途方もない憧れも伝わってきて、とても共感を覚えます。
「ああ、私もいつかこんな風に、雲に呼びかけたことがある!」と思い出して、微笑ましくなるのは、私だけではないはずです。
とても懐かしい詩ですね。
「雲」のさまざまな感想
「雲」はたくさんの人に親しまれている詩です。
私の感想だけでなく、他の方の感想も紹介しますね。
高田敏子さん
まずは昭和時代に活躍し、やさしい作風で親しまれた詩人、高田敏子さんのお言葉です。
どなたも知っている暮鳥のこの詩は、とても単純なかたちで、雲を友だちとしてあつかっています。子どもの心そのままに、なんのきどりもなく、思わず口にでたことばがそのまま書かれているように思われますね。
大正時代に書かれたこの詩が、いまも変わらずに愛されているのは、この童心の美しさにあるのでしょう。けれど、そればかりではなく、一言一言のことばにも、深い味わいのあることが思われます。(引用元:詩の世界)
私もまさに、雲を友だちのように描いている詩だと思います。友だちだから、生きているように感じられるし、話しかけたくなるのですね。
ことばに深い味わいがあると仰っているのにも同感です。
やなせたかしさん
次はアンパンマンの作者としてもおなじみ、やなせたかしさんのお言葉です。
やなせさんは雑誌「詩とメルヘン」や「詩とファンタジー」の編集長を務め、ご自身も詩集を出されています。
ぼくは晩年の暮鳥の詩をふかくふかく愛する者ですが、その詩はまったく平明で、なんの解説も必要でありません。読むだけでいいのです。詩の本質はそういうものだとぼくには思えるのです。
(引用元:だれでも詩人になれる本)
本当にそうですね。
暮鳥の詩には、解説はいりませんね。
私もこうして解説めいたことは書いていますが、実のところ下手に解釈を付け加えると、詩を汚してしまうみたいで、ためらってしまいます。
読むだけでいい、まさにその通りです。
【まとめ】心のままの詩だから
山村暮鳥の「雲」の詩を、高田敏子さんや、やなせたかしさんの感想と共に紹介しました。
みなさんに共通して言えることは、「雲」の詩は心のままに表されているから、読む人もそのまま味わえるということ。だから多くの人に、愛されているのですね。
それはこの詩に限らず、詩集『雲』に収められている、あらゆる詩に言えることです。
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
詩集『雲』の序文で、暮鳥はこのように言っています。
これは暮鳥にとって最後の詩集で、この詩集が世に出る前に亡くなられました。40歳という若さでした。
そのことを思うとき、この序文がいっそう心に沁みわたります。
コメント
いつもお世話になっております。
≪…雲を眺めているのが、長閑…≫と【…人の世を長閑…】と[長閑]の使い方に興味を持ちます、普通は前者の感じしか思い浮かびません。
【…煮え切らない雲…】(草枕一)や【…雲の一片(ひとひら)…】(草枕十二)などと雲の言葉の使い方が間接的です。
ヒフミヨは自然数への古代の音 (カタカムナ)
ヒフミヨは長閑等閑数創る (アスペクト)
ながしかく長閑の内に等閑す ( □ )
□には等閑するが顔二つ (もろはのつるぎ)
秩序とは〇と□が世に棲むと (動と静)
感動しました
大川かけるさま
初めまして。コメントありがとうございます。
「雲」の詩は、純粋に心を動かす力があると、私も思います。