萩原朔太郎「こころ」

萩原朔太郎「こころ」は、不思議な詩です。

この世にあるどの詩もそうですが、「こころ」は特に、読む人や読む時によって解釈が変わってくるからです。

たとえば同じ紫陽花を目にしても、人それぞれ色の感じ方が違います。晴れているか、雨が降っているか、その時の気分によっても、また異なって見えるでしょう。

そんな不思議な色合いがある「こころ」を、私なりに現代語に訳して、鑑賞してみました。

萩原朔太郎「こころ」

こころ

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

詩の解説

「こころ」が書かれて発表されるまでの経緯

まずは「こころ」が、どのような時に書かれて、どのように発表されたのか触れますね。

「こころ」は、萩原朔太郎の少年時代の作品です。

詩集『純情小曲集』に所収されています。

この詩集は、詩作をはじめたばかりの頃の作品(愛憐詩篇)と、大人になってから故郷を詠った作品(郷土望景詩)の二部構成になっていますが、「こころ」は前者に当たります。

萩原朔太郎は初期の作風を「あやめ香水」に例えて、古風ながらも当時は珍しいスタイルだったと述べています。

これらの作品を発表したのは、鑑賞的評価をもらうためではなく、純情にみちた過去の日を記念するためでした。

ということは、現代の私たちが「こころ」を読むときも、無理に解読して批評する必要はないということですね。そう思うと、安心して言葉を味わうことができます。

萩原朔太郎の孤独な少年時代

さて、詩作をはじめたころ、萩原朔太郎はどのような少年だったのでしょう。

萩原朔太郎は開業医の家に長男として生まれましたが、子どもの頃から身体が弱く、神経が細やかでした。勉強よりも空想や散歩や音楽を好み、周りから冷ややかな視線を浴びせられていました。

とても孤独で、不甲斐なく感じているさまが、想像できますでしょうか?

かの有名な第一詩集『月に吠える』の序文で、萩原朔太郎は次のように告白しています。

過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。

現代語訳(意訳)

では、「こころ」の詩を紐解いていきましょう。

萩原朔太郎の時代でも古風な詩なら、現代の私たちにはなおさらですね。

私なりに訳してみたので、原作のイメージをつかむために、参考にしてくださいね。(意訳なので、正確な訳ではありません)

こころ

 

こころを何に例えよう
こころはあじさいの花
ももいろに咲く日はあるけれど
うすむらさきの思い出ばかりは仕方なくて

 

こころはまた夕闇の公園の噴水
音のない音が歩む響きに
こころはひとつゆえに悲しんでも
かなしんでもここに在る価値がない
ああこのこころを何に例えよう

 

こころは二人の旅びと
しかし伴うひとが少しも物言うことなければ
わたしのこころはいつもこのように寂しいのだ

鑑賞ポイント

紫陽花

何物にも例えきれない、悲しみと寂しさ。

私は「こころ」を読むと、強く感じることがあります。

  • こころは何物にも例えることができますが、その一方で、何物にも例えきることができないこと。
  • こころの奥底には、無限の悲しみや寂しさがあること。

以上のふたつです。

矛盾していますでしょうか?でも案外、これが心の本質なのだと思います。

この詩では、こころを紫陽花や噴水や二人の旅人に例えていますね。これらの暗喩はすべて言い得て妙です。

こころはなんて多面的で、変化自由なのだろうと感じます。

しかしこれらの言葉で、悲しみや寂しさの全てを説明しきることはできません。それくらい途方もない感情が奥底に湛えられています。

そのようななか、萩原朔太郎はくり返し「こころを何に例えよう」と問いかけています。

詮無くても、甲斐なくても、こころを問いかけ続けた。

詩中に見られる「せんなくて(詮無くて)」は、「報われなくて」「無益で」という意味。

「かひなし(甲斐なし)」は、「値打ちがない」「張り合いがない」という意味です。

私たちは悲しんでいると、

「こんなに気持ちに囚われていても、意味ないしどう仕様もないよね。さあ、気持ちを切り替えよう!」

と思うことが、健康的でいいことだとされていますね。

ところが萩原朔太郎は、気持ちを無理に放り出すことはありませんでした。

「詮無い」「甲斐ない」とされる悲しみであっても、そこから目をそらすことなく、その価値を問いかけ続けてきました。

その結果、詩集『月に吠える』や『青猫』で見られるような、心臓をがっちり掴んで揺さぶるような比喩表現が生まれてきました。

私は「こころ」という詩が、詩人・萩原朔太郎の出発点ではないかと思います。

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