宮沢賢治の詩「告別」

宮沢賢治は故郷・岩手の農業学校で、教師をしていたことがあります。

賢治が教師を辞める際に、生徒に向けて書かれた詩……「告別」をこれから紹介します。

告別

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくったくゎんとをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

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宮沢賢治「告別」~鑑賞・解説~

宮沢賢治は音楽好きで知られています。

「告別」の詩においても、まずは生徒の楽器演奏の腕を褒めたたえています。

でも、ここで厳しくも温かいメッセージが。

「お前のような素質と力を持つものは、10,000人中5人はいるものの、5年の間にそれを大抵無くす」

10,000人中5人なんて、かなり稀有な才能の持ち主ですよね。それにも関わらずせっかくの才能を、生活のために削られたり、自分でなくしてしまうのですね。

さらに、賢治は力強くメッセージを続けます。

「ひとりの優しい娘を思うようになるとき、無数の影と光の像があらわれる。お前はそれを音にしなさい」

「みんなが町で暮らしたり、遊んでいるときに、お前はひとりで石原の草を刈りなさい。そのさびしさでお前は音をつくりなさい」

人を思うゆえに生ずる影も光も、ひとりで地道に努めるさみしさも、すべて音に託すよう促します。

「もしも楽器がなかったら、力の限り、空いっぱいの、光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

最後のことばは、まるで生徒を包み込むように、大らかで慈悲深いです。

賢治先生のメッセージ

私はこの詩を初めて見たとき、ぎくりとしました。

「音楽に限らず、どんなに天から与えられた才能の原石があったとしても、磨かなかったら無くしてしまう」

このような厳しい現実が、まざまざと言葉に表されているからです。

それは賢治の時代においても、現代においても同じこと。

私には元々さほどの才能はありませんが、どれほど怠って無駄にしてしまったのだろうと、反省してしまいました。同じように感じている方、いらっしゃるかもしれませんね。

ただ、ひとりで原石を磨くことの大切さは、身に沁みて実感しています。

薄紙も一日一枚重ねていけば、数年で百科事典ほどの厚い束になりますよね。そして、薄紙一枚はちょっとしたことで破れてしまいますが、紙の束はそう簡単に破ることはできません。

才能とまではいかなくても、自分の好きなことを毎日少しずつ続けていけば、やがて自分を光り輝かせる力になると信じています。

 

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