金子みすゞの花の詩…「花の名まえ」「わらい」「露」

金子みすゞさんの詩で、にまつわる詩を3篇紹介します。

みすゞさんの童謡集をめくると、たくさんの花に出会えます。どれも良い詩ばかりなので、「これ!」と選ぶには本当に迷います。なので、ほんの一部だけを紹介しているということで、ご了承くださいね。

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花の名まえ

花の名まえ

御本のなかにゃ、たくさんの、
花の名まえがあるけれど、
私はその花知らないの。

町でみるのは、人、くるま、
海には舟と波ばかり。
いつも港はさみしいの。

花屋のかごに、おりおりは、
きれいな花をみるけれど、
私はその名を知らないの。

母さんにきいても、母さんも、
町にいるから、知らないの。
いつも私はさみしいの。

寝かせばねむる、人形も、
御本も、まりも、みなすてて、
いま、いま、私は、行きたいの。

ひろい田舎の野をけて、
いろんな花の名を知って、
みんなお友だちになれるなら。

私はこの詩を見たとき、もしもみすゞさんがインターネット全盛の現代にタイムスリップしたら、一体何を思うだろう?と想像しました。

パソコンやスマホで検索すれば、御本の何百倍も、花の名まえがヒットする現代。

それでも、そこから花の香りや瑞々しさを感じられるわけがなく、やっぱり田舎の野に駈け出したくなるだろうなと、思わずにはいられませんでした。

私たちは、情報過多の現代にいて、たくさんの名まえを目にするようになりました。

名まえしか知らない人と友達になることも珍しくないし、それは時に素晴らしいことだけれど、心おきなく交流できるかと言ったら、そうとは言い切れません。

情報に取り囲まれすぎて、かえって寂しさを覚えることもあります。

可能な限り、できる範囲で、本物に触れてみること……こんなご時世だからこそ、みすゞさんのこの詩にあるような思いを、大切にしたいです。

わらい

わらい

それはきれいな薔薇ばらいろで、
芥子けしつぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。

もしもなみだがこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。

「花笑み」という言葉を、ご存知でしょうか?

「花が咲くこと」または「花が咲いたような笑顔」をそう呼ぶのですが、みすゞさんのこの詩を見て、私はこの美しい日本語を思い出しました。

みすゞさんの詩のような花笑みが、自分にも、周りの人にも、遠くにいる人たちにも満ちるなら、どんなに世界は幸せになるだろうと、願わずにはいられません。

ところでこの詩から、みすゞさんの哀しみが透けてみえるように思えるのは、私だけでしょうか?その哀しみを歓びに昇華しようとする、切なる祈りのようなものが感じられます。

雨上がりの空のように晴れやかな笑みが、この詩から想像できます。

だれにもいわずにおきましょう。

朝のお庭のすみっこで、
花がほろりと泣いたこと。

もしもうわさがひろがって
はちのお耳へはいったら、

わるいことでもしたように、
みつをかえしにくでしょう。

この詩に描かれている世界は、本当に優しいですね。

誰にも心配をかけないように、ほろりと泣いている花も。

もしも噂を耳にしたら、きっと蜜をかえしに行くだろう蜂も。

「誰にもいわずにおきましょう」と、花や蜂たちを見守りつつも、秘密を胸にしまっている話し手も。

みんなひそかな思いやりにあふれていて、その思いやりに知らないうちに包まれ合っているようです。

ところで、この優しさのつながりを言葉で説明しようとしても、なかなか難しいものですね。言葉を飛び越えて、たましいに響くような優しさです。

この優しさを一言で表現しているみすゞさんに、改めて驚かずにはいられません。

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