立原道造は、詩人としても建築家としても将来を嘱望されていましたが、24歳で夭折してしまいました。
道造の遺した美しいソネットは、半世紀以上経った今でも多くの人に愛されています。
なかでも傑作として名高い「のちのおもひに」を紹介します。
のちのおもひに
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
立原道造「のちのおもひに」~鑑賞・解説~
「のちのおもひに」は、第一詩集『萱草に寄す』に収められています。
どんな詩人にとっても、はじめての詩集には特別な思い入れがありますが、道造も例外ではありませんでした。おぼえ書として、次のように意気込みを語っています。
重なりあった夢は、或る日、しずかに結晶した――
引用元:『四季』37年7月号
この詩集の冒頭には、”SONATINE No.1″と題して、5つのソネットが並んでいます。
- はじめてのものに
- またある夜に
- 晩おそき日の夕べに
- わかれる昼に
- のちのおもひに
「のちのおもひに」は、5つのソネットの最後を飾る作品です。
最初の「はじめてのものに」と題を呼応させて、続けて「夜」「夕べ」「昼」と時に関する詩を並べています。
“SONATINE No.1″で物語のような世界を創ろうとしたのではないかと想像できます。
「はじめてのものに」については以下の記事で書いているので、もしよかったらご覧くださいね。
青春の闇をつきぬけて
さて、三好達治は「のちのおもひに」について、次のように述べています。
立原の詩にはいつも、孤独な若者らしい愛情とその青春の絶望とが、ないまぜになって美しい彼の歌を支えている。若者は求めるところが大きいから、彼はともすれば傷つきやすく、ともすれば孤独の闇につき放される。
(中略)
「のちのおもひに」はそういう若者の心理を、その歌において細緻に写しとっている。
引用元:三好達治「詩を読む人のために」
私もこの言葉には、大きく頷きます。
道造のソネットには、青春期ならではの憧れや哀しみが満ちあふれています。夢が大きく純粋であればあるほど、未熟な自分や思い通りにいかない現実との落差に、絶望してしまうんですよね。
だた、「のちのおもひに」に関していえば、果たして若者特有の感情だけに留まっているだろうかと思います。
この詩からは、何処かにつきぬけて時間の深淵を覗き込んでしまったような、そんな感じを受けます。老成とは違った意味で、この詩には達観したところがあります。
今まで「生」の側から見ていた世界を、ふと「死」の側から見てしまったような。
まるで彼岸から謳われているような感じさえあります。
立原道造のあこがれ
最後に、第一詩集『萱草に寄す』についての、道造のおぼえ書を再度引用します。
……僕はこの詩集がそれを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからないしらべとなつて、たしかめられず心の底でかすかにうたふ奇蹟をねがふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであらうとも、僕のあこがれる歌の秘密なのだ。
引用元:『四季』37年7月号
道造は「のちのおもひに」でも、このような奇蹟にあこがれていたのかもしませんね。
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