金子みすゞの夕日・夕焼けの詩…「風」「つばな」「夕ぐれ」「石ころ」

金子みすゞさんの詩で、夕日・夕焼け・夕暮れが描かれている詩を4編紹介します。

夕方は優しさや寂しさ、懐かしさなどを感じさせる時間。

みすゞさんは詩のなかで、さまざまな心模様を描いています。

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「風」…空の山羊追いのファンタジー

空の山羊追い
眼にみえぬ。

山羊は追われて
ゆうぐれの
曠野ひろののはてを
群れてゆく。

空の山羊追い
眼にみえぬ。

山羊が夕日に
染まるころ、
とおくで笛を
ならしてる。

雲はとても表情豊かで、まるで生きているかのよう。

たとえば秋になると、うろこ雲やいわし雲、ひつじ雲などを見かけます。

私は「風」の詩を読むと、子どもの頃に、雲が羊のような動物に見えたことを思い出します。

みすゞさんはこの詩のなかで、ゆうぐれの空に山羊追いや山羊たちのファンタジーを描いているのですね。

「つばな」…日ぐれの白いつばな

つばな

つゥばな、つばな、
白い、白いつばな。

夕日の土手で
つばなを抜けば、
ぬいちゃいやいや、
かぶりをふるよ。

つゥばな、つばな、
白い、白いつばな。

日ぐれの風に、
飛ばそよ、飛ばそ、
日ぐれの空の、
白い雲になァれ。

「つばな」はチガヤの花のこと。

チガヤはイネ科の多年草で、日当たりのいい河原や空き地などでよく見かけます。

チガヤは春頃に花が咲き、初夏の頃には種についた綿毛が生長します。綿毛は風を受けると、遠くまで飛んでいきます。

見た目やちょっと、ススキに似ているでしょうか。

みすゞさんの「つばな」は、つばなの綿毛が日ぐれの空に雲になって飛んでいくのが、目に見えるような詩です。

「夕ぐれ」…子どもたちの心の揺れ

夕ぐれ

「夕焼小焼」
うたいやめ、
ふっとだまった私たち。

誰もかえろといわないが。

お家の灯がおもわれる、
おかずの匂いもおもわれる。

「かえろがなくからかァえろ。」
たれかひとこと言ったなら
みんなぱらぱらかえるのよ、

けれどももっと大声で
さわいでみたい気もするし、

草山、小山、日のくれは、
なぜかさみしい風がふく。

「もっと遊んでいたいけれど、お家に帰って夕ごはんも食べたい……」

そんな心の揺れを抱えた子どもたちが、ふっと黙ってしまう空気が、手にとるように伝わってきます。この空気感には、とても共感を覚えるし、懐かしいです。

夕ぐれにはどこか、名残り惜しいような、さみしいような雰囲気があります。

「石ころ」…赤い夕日にけろりかん

石ころ

きのうは子供を
ころばせて
きょうもお馬を
つまずかす、
あしたは誰が
とおるやら。

田舎のみちの
石ころは、
赤い夕日に
けろりかん。

「けろりかん」という言葉が、心をくすぐりますね。

「みすゞさんの造語かな?」と思っていましたが、日本に昔からある言葉です。

「けろりかん」について、辞書には「平然としたさま」「全く無関心なさま」などと書かれています。

石ころは昔からそこにあって、人がころぼうと馬がつまずこうと、あっけらかんと開き直っているのですね。そもそも、開き直るという意識すらなく、ずーっとそこに居続けるのでしょう。

私たち人間(特に日本人)は、人に迷惑をかけてはいけないとか、傷づけてはいけないとか、必要以上に思い込んでしまいがち。時にはビクビク縮こまってしまうこともあります。

ところが、「石ころ」の詩の世界には、「転んだって、転ばせたっていいじゃない」と、つまずくことを大らかに肯定しているような空気があります。

 

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