寺山修司の少女詩集(角川文庫)には、宝石の名を冠した詩や、宝石が出てくる詩が、数多く載せられています。
今回はそのうちのひとつ、「ダイヤモンド」を紹介します。
Diamond
ダイヤモンド木という字を一つ書きました
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました
淋しいという字をじっと見ていると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる
ほんとに愛しはじめたときにだけ
淋しさが訪れるのです
寺山修司「ダイヤモンド」
淋しさと寂しさの違い
「さびしい」を漢字で書くとき、「淋しい」の他に「寂しい」という字もありますね。
「淋しい」と「寂しい」…この違いはご存知でしょうか。
「淋しい」は人の孤独感に焦点をしぼって使う言葉に対して、「寂しい」は物足りなさや静けさなど幅広い状況・情景・感情に使える言葉です。
「寂しい場所」「財布が寂しい」とは言うけれど、「淋しい場所」「財布が淋しい」とはあまり言いませんよね。
「淋しい」は、人がいて初めて成り立つ言葉です。
愛する人の有無による淋しさの違い
では、ほんとに愛する人ができたときに限らず、愛する人がこの世に存在しないときも、「淋しい」と思うことがありますよね。
この二つの違いは何でしょう。
前者は愛する人を想って泣くことはあっても、後者にはそれがないです。
自分以外の、唯一無二の人のためにこぼす涙は、ある意味とても貴重です。
その貴重な涙を、詩人はダイヤモンドに喩えたのではないかと思います。
(もちろん、感情に優劣はないです。独りきりのときや、大勢に囲まれているときに感じるさびしさも、かけがえのないものだと思います)
コメント