草野心平さんは、蛙や富士山について書かれた詩が多いため、「蛙の詩人」「富士山の詩人」と思われがちですが、一言で括れないくらいスケールの大きな詩人です。
天体や人間や動植物など、森羅万象の詩を数多く残しています。
今回は「紅梅」という詩を紹介いたします。「紅梅」という題の詩は、私の知る限り二作ありますが、ここで主に紹介するのは詩集『原音』所収の詩です。(昭和52年出版)
紅梅
どうして紅の花が咲きどうして。
ふくいくとした香りをわかせるのだらう。どうして。
肌荒いごつごつの幹から。
若若しい枝がのび。
点点点点。点点。
紅の花がひらく。
けれどもどうして。
どうして紅の花がひらくのか。
どうしてその花花は匂ふのか。梅にも生年月日があり。
それはあの緻密な年輪の渦のはじまりである筈だがどうしてそれは生まれるのか。
年輪は時間の堅い凝縮。
いのちの象徴。
そのいのちから点点点点の花花たち。けれどもそれはどうして紅なのかどうして匂ふのか。
どうして雪は。
紅梅のまはりに余計降りたい気持ちになるのか。
降つて積つてそして晴れて紅梅の紅を更に鮮かにしたいのか。(そんな馬鹿な)
けれどもどうしてごつごつの生命のはてに。
ひらく花花が紅なのかどうしてそれは匂ふのか。
草野心平「紅梅」(詩集『原音』所収)
草野心平さんの詩に、余計な解説は要りません。理屈抜きに心を掴んで、揺さぶるようなような詩です。
ここで紹介している「紅梅」も、まさにそうです。
草野心平さんと同じ「歴程」同人の詩人・吉原幸子さんは、この詩について次のように述べています。
こんな小学生のような詩を書ける詩人が他にいるだろうか。そしてむろん、こんな詩を書ける小学生もいない。
引用元:現代詩文庫 草野心平詩集(思潮社)
私もこの言葉に同感します。
「紅梅」が収められた詩集『原音』が出版されたとき、草野心平さんは小学生どころか、70代半ばです。年輪を重ねた果てに、こんなに瑞々しい詩が書けることに驚かされます。しかも、何とも言えない奥深さがあるんですよね。
草野心平さんの詩は、小学生でもわかるものが多いですが、歳を重ねれば重ねるほど、味わい深くなるものだと思います。
草野心平さんは昭和30年代を除いては多作な人で、昭和50年代以降の晩年にはさらに勢いを増して、詩を生み出していきました。
草野心平「紅梅」(詩集『牡丹圏』所収)
せっかくなので、「紅梅」という題の詩をもう一編ご紹介。
詩集『牡丹圏』所収の詩です。(昭和23年出版)
紅梅
天心に月の。
ギヤマン。
題名をいれても16音。俳句よりも短い詩でね。
「天心」は空のまん中。
「ギヤマン」は江戸時代に、ダイヤモンドを称したことばです。ガラス製品のことも、そう呼ぶことがあります。
凛とした情景が、まぶたに思い浮かぶようです。
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