中原中也の詩「頑是ない歌」…思えば遠く来たもんだ

中原中也の詩「頑是ない歌」を紹介します。

この詩の題名に覚えがなくでも、出だしにピンと来るかたはいらっしゃるのではないでしょうか。

頑是ない歌

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気ゆげは今いづこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然しょうぜんとして身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然ぼうぜん
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
の先まだまだ何時いつまでか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日やよる
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟ひっきょう意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

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中原中也「頑是ない歌」~鑑賞・解説~

思えば遠く来たもんだ

「これは中原中也の詩だったのか!」と、驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんね。

「思えば遠くへ来たもんだ」という、海援隊の楽曲もありますし、映画やドラマもありますが、それよりも前に中也は「思えば遠く来たもんだ」という印象的なフレーズを生み出しています。

(ちなみに、両者の違いは、助詞の「へ」が有るか無いかの違いです)

言葉の注釈も加えますね。

頑是がんぜない:1.幼くて道理がわからない。聞き分けがない。
2.無邪気な

竦然しょうぜん:ひどく恐れるさま。ぞっとしてすくむさま。

畢竟:結局。つまるところ。

遠くへ来たのは、過去か今か。

「頑是ない歌」は、今の自分が過去の自分をふり返っている詩です。

第三連目で、あの頃の俺が汽笛の湯気を眼で追ったということは、船が離岸したということでしょうか。

船については一言も書かれていませんが、港や汽笛が書かれていることから、遠くへ旅立っていった船があったと想像できます。

そこにどのような別れがあったのでしょう。竦然として、茫然として、全く身動きがとれなくなるほど、あの頃の俺は悲しかったのかもしれないです。

そして今もなお、記憶のなかで、汽笛の湯気は遠のいているのでしょう。

その汽笛の湯気をふり返って、当時はすくんで全く動けなかった俺が、今になって感慨にふけっているのですね。「思へば遠く来たもんだ」と。

遠のいているのは汽笛の湯気であり、離岸した船であるはずはずなのに。

そこに時間のパラドックスを感じます。

たとえば、波打ち際に立って、海を見つめているとき。波が引くと、足元から砂が流れていって、自分は全く動いていないのにも関わらず、海から遠く離れていくような錯覚に陥りませんか?

そのような錯覚を、「頑是ない歌」から感じます。

何はともあれ、大人になっても中身が幼いまま変わっていないにも関わらず、ずいぶん遠くへ来てしまったと感じることは、誰にでもありますよね。

そのような実感を、さらりと言いのけている中也の手腕には、唸りたくなります。

「今では女房子供持ち」
「結局我がン張る僕の性質」
「畢竟意志の問題だ」

こんな風に、時折ポンと現れるフレーズも、思わず口からこぼれ落ちてしまったように見えて、なかなか巧みですね。

中也ならではのお道化節も全開で、とてもいい詩です。

 

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