草野心平「秋の夜の会話」

秋から冬にかけて、肌寒くなり、土には枯葉が散り、虫の音が薄れていくと、季節は死に向かっていると感じることがあります。

草野心平さんの「秋の夜の会話」という詩は、これからまさに冬眠しようとしている、二匹の蛙たちの会話を描いたものです。さっそくご紹介いたしますね。

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草野心平「秋の夜の会話」

秋の夜の会話

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね

詩の鑑賞と解説

蛙は寒くなると仮死状態に

蛙は人間と違い、変温動物です。

外界の気温が下がるにつれて、蛙の体温も下がっていきます。すると蛙は身動きが取れなくなり、仮死状態になってしまいます。

「さむいね」「ああさむいね」

冒頭の蛙の台詞は、一見何気ない会話のように見えますが、本当は人間の何倍も寒さが身に沁みているに違いないです。

ポツリ、ポツリと、この詩は短い呟きで綴られています。きっと口を動かすことさえ鈍くなってしまうくらい、凍えているのですね。それゆえリアリティーがあり、核心を突いています。

人間は暖房や防寒着で、冬をしのぐことができるけれど、蛙は無防備です。蛙は季節の流れに逆らうことなく、ありのままで生きています。

これが最後との思いで冬眠

そこで蛙は冬眠をすることで、春が来るのをじっと待ちます。

ちなみに蛙の寿命は、種によってさまざまですが、アマガエルで約5~7年、ヒキガエルで約7~10年です。自然界で生きている蛙は、天敵が多いため、半年~2年で亡くなることも多いです。

だから蛙は冬が来るたびに、これが最後との思いで冬眠しているのでしょう。

生きるか死ぬか・・・切ない腹

「どこがこんなに切ないんだらうね」「腹だらうかね」

蛙たちは語ります。私たちは食べなければ生きていけません。自我や意志とは関係なしに、お腹は空いてきます。

ところが食べることは、他の命を殺めることなんですよね。

そして私たちから腹をとれば、当然亡くなってしまいます。

生きるか、死ぬか……その切なさが、「腹」という言葉にギュッと凝縮されていて、見ていると余計に切なくなってきます。

再び目覚めるために

蛙にとって冬眠は、死にゆくことではなく、生き永らえるためのものです。

もちろん、春になって再び目覚める保証はどこにもありません。

それでも、日ざしが暖かくなり、地面に踊りだす日を夢みて、蛙は長い眠りにつきます。

「秋の夜の会話」はとても切ない詩ではあるけれど、そのような次の季節への希望を忘れたくないと思います。

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