三好達治「大阿蘇」…もしも百年がこの一瞬の間にたったとしても

あなたは阿蘇というと、どのようなイメージを思い描くでしょうか。

三好達治の詩「大阿蘇」では、阿蘇の大自然が目の前に広がっているかのように描写されています。

教科書でこの詩を知っている方もいらっしゃるかもしれませんね。さっそく詩を紹介いたします。

三好達治「大阿蘇」

大阿蘇

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々しょうしょうと降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中もたてがみも ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭々と降つてゐる
山は煙をあげてゐる
中岳の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜くさせんりはまのとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる

いかがでしょうか。

まずは「大阿蘇」の詩の世界に入りやすいように、阿蘇の地形や気候について簡単に触れた後に、詩を読み解いていきます。

阿蘇の地形と気候について

阿蘇山は実はひとつの山でなく、複式活火山です。

世界最大級のカルデラ(火山活動によってできた大きな凹地)のなかに、阿蘇五岳を中心とした連山が並んでいます。

阿蘇山というと、一般的には阿蘇五岳を指しますが、広い意味では外輪山(カルデラの縁)や、火口原(カルデラ内部の平坦地)も含めます。

想像しやすいように、GoogleMapを載せますね。

詩中に出てくる中岳は、阿蘇五岳のうちのひとつで、最も活発な活動をしている火山です。

艸千里浜(草千里ヶ浜)は、中岳を望む場所に広がる大草原で、中央部に丘があり、東西に池があります。馬が放牧されていて、牧歌的な風景です。

なお、阿蘇は年間降水量が多いことでも知られています。夏は涼しく、冬は寒さが厳しいです。

詩の鑑賞と解説

大自然の三つの営み

「大阿蘇」の詩では、大自然の営みが三つ描かれています。

  • 馬は草をたべてゐる
  • 山は煙をあげてゐる
  • 雨は降つてゐる

馬は雨にぐっしょりと濡れそぼっても、一心に草を食べています。(あるものは草を食べずにきょとんとしていても、雨のなかに立っています。)

中岳はうすら黄色く重苦しい噴煙を上げています。

人間なら雨が降ると、外出を止めて家で休むこともありますが、馬や山にはそのようなことはありません。ひたすら営みを続けています。

そして馬や山に、雨は蕭々と降っています。(蕭々は、もの寂しいさまのことです)

三つの営みはけじめなしに、延々と続いています。

この詩は文字で書かれていますが、文字のない世界です。

果てしない時間的な広がり

「大阿蘇」の詩に柱があるならば、何といってもこの詩句でしょう。

もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

百年後であっても、これらの大自然の営みは、何ひとつ変わることなく続いているのでしょう。

この詩句が一石を投じて、詩に果てしない時間的な広がりを見せています。

「大阿蘇」の初出は1937年(昭和12年)で、それから80年以上は経っていますが、人間社会はある意味大きく進歩しました。

詩をパソコンやスマートフォンから気軽に見られるなんて、三好達治も想像していなかったに違いありません。

そんな人間社会とは、ほとんど関係ないところで、自然は営みを続けているということですね。

描写に徹しているから百年後の世界が想像できる

「大阿蘇」の詩を見て感じることは、作者・三好達治がいかに描写に徹しているかということです。

まるで遠くから、曇りないレンズをしているビデオカメラを向けて、ある時は馬にクローズアップして、ある時は山をロングショットで映しますが、その視点が決してぶれることはありません。

そしてその視点は、人間である三好達治の強い主観を感じさせません。あたかも永遠に壊れないビデオカメラだけが、そこにポツンと置かれていて、客観的に風景を映し出しているかのようです。

百年たてば、たいがいの人間は亡くなります。

なのでもし、三好達治が主観を全面に打ち出して、この詩を書いていたとしたら、「もしも百年が」という言葉が嘘になってしまうんですね。当時は成人していた三好達治が、百年後の世界を見届けることはできません。

ビデオカメラのように客観的に引いた視線で、この詩を書ききったからこそ、「もしも百年が」という言葉が生きてくるのです。フィルムを一瞬のうちに百年後に回した世界を、想像しやすくなります。

まとめ

三好達治の詩「大阿蘇」について、阿蘇の地形と気候について触れた後に、詩を中身を読み解いてみました。

この詩には、大自然の営みが延々と続いていることが描かれています。

三好達治はこの詩を、描写に徹して書ききったことで、百年が一瞬の間にたっても不思議でない世界を、読む人に実感させています。

ところで、この詩を読んでいると、阿蘇に行きたくなるのは私だけでしょうか?

この悠大な風景のなかに、身を置いてみたいものです。

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