高村光太郎は、最愛の人である智恵子さんに関する詩を、約40年間にわたって書き続けました。その結晶が詩集『智恵子抄』です。
今回は、光太郎が智恵子さんと結婚する前年に書いた詩、「人類の泉」をお届けします。
高村光太郎「人類の泉」
人類の泉
世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて
いつも私を堪らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生れるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萌え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力をもつてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生れたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある大正二・三
詩の鑑賞と解説
まずは高村光太郎の人物像と、この詩が書かれるまでの経緯について触れたあと、詩の内容について書きます。
高村光太郎の人物像と経歴
高村光太郎は1883年(明治16年)、東京で生まれました。
父は彫刻家の高村光雲で、上野恩賜公園の西郷隆盛像が代表作として知られています。
光太郎も東京美術学校で彫刻と洋画を学んだ後、海外の3都市に留学します。
- 1906年(明治39年):ニューヨーク
- 1907年(明治40年):ロンドン
- 1908年(明治41年):パリ
1909年(明治42年)6月に、約3年半の海外生活を終えて帰国。
光太郎のなかには、近代的自我が芽生えていました。広い世界を見たその眼には、日本の社会は封建的に映りました。
光太郎は、日本の伝統的な彫刻家である父に猛反発して、親類からは不良息子と見られて、当時流行していたデカダン(退廃芸術)に耽りました。
自分の立ち位置を見失い、焦燥の日々を過ごしていました。
最愛の人・智恵子との出会い
そんな廃退生活のなかで出会ったのが、長沼智恵子さんです。
智恵子さんは、女性による月刊誌『青鞜』の創刊号の表紙を描くなど、若き女性芸術家として注目されつつある人でした。
なによりも一途で、純粋な人でした。
青鞜・創刊号(1911年9月)の表紙
パブリックドメイン(引用元:ウィキペディア)
光太郎は智恵子さんによって、絶望の淵から救われることができました。
私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
「人類の泉」のこの詩句は、その当時に味わった残酷な孤独について描いているのでしょう。
その孤独を理解してくれたのが、まさに智恵子さんでした。
孤独との和解
「人類の泉」は、光太郎が智恵子さんから得た多くの確信が、ほとばしるような筆で描かれています。
まるでこの詩自体が、とめどない泉のようです。
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生れるのです
以上のような、新しい自分に生まれ変わっていくプロセスの描写には、見ているこちらまで胸が高鳴ります。
そしてこの詩は、光太郎がいかに孤独と和解したかを教えてくれます。
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
人は誰一人同じでなくても、お互いにある部分を了解し合って生きているのだということを学んだのでしょう。
光太郎は智恵子さんに対しても、「あなたはあなたのいのちを持つてゐます」と認めています。
以上、詩集『智恵子抄』の「人類の泉」について書きました。
私にとっても、大好きな詩のひとつです。
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