高村光太郎「樹下の二人」…詩集『智恵子抄』より

高村光太郎智恵子は大恋愛をして、大正3年12月に結婚します。その後二人は、どのように暮らしたのでしょう。

詩集『智恵子抄』には、光太郎が智恵子について綴った詩が年代ごとに並べられていますが、実は大正3年8月以降、空白の9年間があります。つまり、新婚生活中に書かれた詩は、全く載せられていません。

その空白の9年間の果てに生まれた詩、「樹下の二人」をこれから紹介します。

樹下の二人

  ――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――

あれが阿多多羅山あたたらやま
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹せんたんを魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうにとらへがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫さかぐら
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国きたぐにの木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

大正一二・三

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高村光太郎「樹下の二人」

「樹下の二人」の詩が生まれるまで

まずは光太郎と智恵子の新婚生活について触れますね。

詩集『智恵子抄』にはその様子が書かれていませんが、東京のアトリエにおいて充実した日々を過ごしていました。光太郎は彫刻と著作に、智恵子は油絵に、それぞれ励んでいました。

ただ、智恵子の健康状態には、翳りが見えはじめます。女子大生時代には、自転車に乗ったりテニスに熱中するなど、元気溌剌に過ごしていましたが、肋膜を病むようになります。

新鮮な空気を吸わなければ、身がもたなかったのですね。智恵子は一年のうち数か月間は、郷里の福島県二本松に帰省して、療養するようになります。

東京にいる光太郎が、福島にいる智恵子を訪れたのをきっかけに生まれたのが、「樹下の二人」です。

光太郎は後年、この詩について次のように語っています。少し長くなりますが、引用いたしますね。

智恵子は東京に居ると病気になり、福島県二本松の実家に帰ると健康を恢復するのが常で、大てい一年の半分は田舎に行ってゐた。その年(大正12年春)も長く実家に滞在してゐたが、丁度叢文閣から『続ロダンの言葉』が出て印税を入手したので、私はそれを旅費にして珍しく智恵子を田舎の実家に訪ねた。智恵子は大よろこびで二本松界隈を案内した。二人は飯坂温泉の奥の穴原温泉に行つて泊つたり、近くの安達が原の鬼の棲家といふ巨石の遺物などを見てまはつた。或日、実家の裏山の松林を散歩してそこの崖に腰をおろし、パノラマのやうな見晴しをながめた。水田をへだてて酒造りである実家の酒倉の白い壁が見え、右に『嶽(だけ)』と通称せられる阿多多羅山が見え、前方はるかに安達が原を越えて阿武隈川がきらりと見えた。

高村光太郎「樹下の二人」昭和26.5

大正12年春は、光太郎の記憶違いでしょう。実際には大正9年春と言われています。

「樹下の二人」に描かれている風景

さて、「樹下の二人」を読み進めていきましょうね。

あれが阿多多羅山あたたらやま
あの光るのが阿武隈川。

これはおそらく、智恵子の台詞でしょう。はるばる東京から来た光太郎に、智恵子は福島県二本松の故郷を道案内します。

阿多多羅山は日本百名山にも数えられている活火山、阿武隈川は一級河川です。とても悠大な風景が思い浮かびますでしょうか。

智恵子の実家は酒造業でしたから、白壁の点々とした酒庫、と表現されていますね。

無頼の都・東京に翌日帰る光太郎にとって、智恵子と共にいるこの風景は、どれほど去り難かったことでしょう。冬のはじめの、晴れ渡った空気が伝わって、こちらの肺まで洗われるようなです。

光太郎の目の前に広がるパノラマは、智恵子の魂に広がる風景でもあります。

不思議な仙丹、つまり、不老不死の霊薬を、魂にくゆらせている智恵子。光太郎にとって、若さの泉を注いでくれる存在です。

結婚してもうすぐ十年経つというのに、新鮮な関係を保てているのがうらやましいです。

その後の二人の運命を思うと、この詩はますます稀有に思えます。

 

※詩集『智恵子抄』のなかでも特に有名な詩、「あどけない話」にも阿多多羅山が出てきます。
こちらの記事に詳しく書いているので、もしよかったらどうぞ。

東京には空が無い…高村光太郎『智恵子抄』より「あどけない話」
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