吉野弘さんの「雪の日に」という詩を紹介いたします。
この詩は合唱曲用に書き改められた歌詞も存在しますが、ここで取り上げるのは元詩の方です。
雪の日に
――誠実でありたい。
そんなねがいを
どこから手にいれた。それは すでに
欺くことでしかないのに。それが突然わかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけねばならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手には負えなくなってしまったかのように
雪は今日も降っている。雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。
吉野弘「雪の日に」
矛盾ゆえの辻褄合わせ
人間は矛盾しているところがあるから、誠実であろうとすればするほど、どこかで辻褄を合わせなければならないですよね。
で、綻びを直したそばから、違う綻びが生じて、辻褄合わせに終わりはありません。
「雪の日に」は、そのようなやり切れなさを、言葉の端々に滲ませています。
吉野弘さんは、人の心にあるジレンマを、詩に託すのが巧みですね。はっきりと文字に現すのではなく、ひっそりと行間に潜ませているのですが、読む人にはそれが盲点を突かれたように感じられます。
「雪の日に」と「夕焼け」に共通するジレンマ
代表作の「夕焼け」にも、ジレンマが描かれていますね。
「夕焼け」の詩に出てくる娘さんは、お年寄りに優しくしようと思って、満員電車で席をゆずります。ところが、一度だけならともかく、二度も席をゆずると、三度目はゆずるべきか葛藤が生じます。
他人に優しくしようとすればするほど、きりがなくて、自分に優しくなくなることもあります。
「雪の日に」と「夕焼け」には、どこか通じるものがあります。
誠実だから書ける詩
ところで、こういう詩を書いているからこそ、吉野弘さんは誠実な詩人と思えるのは、私だけしょうか。
吉野弘さんは、どんな些細なことであれ、欺くことから目を逸らさずに、まっすぐに見つめて詩にしています。それは清らかな心がなければ、できないことです。
それこそ矛盾しているかもしれませんが、「雪の日に」はとても誠実な詩だと思います。
コメント