「山のあなた」という詩を紹介します。
ドイツの詩人である、カール・ブッセ(1872-1918)による作品です。
日本では上田敏(1874-1916)が翻訳したことで有名で、訳詩集『海潮音』に収録されています。
山のあなた
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
山のあなた(詩:カール・ブッセ/訳:上田敏)
詩の注釈と大意
文語(昔の書き言葉)で訳されているため、ちょっと意味が取りづらいところもあるかもしれませんが、言葉の響きが心地良いので、すっと読めてしまいますよね。
補足説明すると、「尋めゆきて」は「探しに行く」、「涙さしぐみ」は「涙ぐみ」という意味です。
詩の大意は、以下の通り。
人と探しに言ったものの見つからず
涙ぐんで帰ってきてしまった。
それでもなお、山のもっと向こうに
幸せが住んでいると人は言う…
まるでメーテルリンクの「青い鳥」を思わせる内容ですね。
チルチルとミチルも、幸せの青い鳥を探しに、遠くへ旅に出ます。
詩の鑑賞と解説
「幸」は私たちと同じ?
ところで「山のあなた」は、「かなた」でなく「あなた」と訳したところが、重要な鍵だと思います。
「幸住む」と訳しているのもいいです。
そうすることで、「幸」というものが「あなた」という人格を持って、本当に住んでいるような思いにかられるからです。
つまりは、擬人法ということですね。
幸せがもし、私たちと同じような顔や手足があり、生活をしているとしたら、とても会いに行きたくなってしまいますよね。
私だったら、どれだけかっこいいい人なのか、想像をふくらませてしまいます(笑)
幸せというのが、抽象的な空気のように書かれていたら、わざわざ尋ねに行こうとはしないと思うんですね。
「あなた」と言うことで、そこに恋しさや憧れがつのってきます。
信じる心に本当の幸せがある
「山のあなた」の主人公は、涙ぐんでもなお、さらに山を越えて行ったのでしょうか。
「人にそそのかされて、幸せを探しに行っても見つかなかったから、もうどこにも行きたくない…」という風に、この詩の最後を解釈するのも可能です。
「灯台下暗し」「隣の芝生は青く見える」という言葉もあります。
自分の足元が見えないで、人の言動や理想像に振り回されることは誰にでもあるので、その愚かさと哀しさを風刺する詩とも取れるでしょう。
でも、それだけで終わるのでは、あまりにも寂しいですよね。
この詩の主人公は、「幸」に憧れて探しに行きました。その信じる心にこそ、本当の幸せがあるのではないでしょうか。
山のあなたの空遠くに、見えないものを見ようとするには、とてつもないエネルギーが要ります。そこに向かって動いていくのは、なおさらです。
信じる心は、世界を広く輝かせて見せるような力があります。
チルチルとミチルは、最も身近なところで青い鳥を見つけました。
幸せはまさに、自分の心のなかにあるのかもしれませんね。
コメント
たしか、金田一春彦教授がヒトを漢字と平仮名に書き分けてあるのを指摘していたと思いますが、三善英史さんの歌った雨もそれにならったところがあって面白いです
擬人法って…
こなた、あなた、そなた、かなた
発話者との隔たりですよ
中学生の古文で最初に習うものだけと、今はちがうのかな
あなたは貴方じゃないですよ
匿名さま
コメントありがとうございます。
「あなた」に関しては、私はダブルミーニングと思っています。
発話者との隔たりを表現していると同時に、あなたという人の存在も忍ばせているような気がします。
>「幸」というものが「あなた」という人格を持って、本当に住んでいるような思いにかられるからです。つまりは、擬人法ということですね。
以上の文にも書きました通り、「あなた」に対してではなく、「幸」住むという言葉に擬人法が使われていると解釈しています。
もしこの文に誤解を招く点がありましたら、誠に申し訳ございませんでした。
ただ、詩の感じ方は人それぞれだと思いますので、ご理解いただけたら幸いです。