金子みすゞさんは、身近なものだけでなく、遠い世界にも優しい眼差しを向けています。そうかと思えば、遥か彼方の月のような天体さえ、まるで友だちのように寄り添っています。
みすゞさんの手にかかれば、足下も大空も、ファンタジーの舞台に早変わりします。
これからみすゞさんの作品で、月にまつわる童話のような童謡を2編紹介しますね。
昼の月
昼の月
しゃぼん玉みたいな
お月さま、
風吹きゃ、消えそな
お月さま。いまごろ
どっかのお国では、
砂漠をわたる
旅びとが、
暗い、暗いと
いってましょ。白いおひるの
お月さま、
なぜなぜ
行ってあげないの。
昼の月を見て、「消え入りそう」と思うことはあっても、「どこかの国に行ってあげて」と思うことは、まずないのではないでしょうか。
私たちが青空を仰いでいるとき、地球の反対側は夜空に覆われているんですね。そのことに何か深い意味があるような気がして、ハッとさせられます。
みすゞさんのように、目の前の見えている処に限らず、遠くの見えない世界にまで心を飛ばすことができたら、もっと優しくなれるのかもしれませんね。
月のひかり
月のひかり
一
月のひかりはお屋根から、
明るい街をのぞきます。なにも知らない人たちは、
ひるまのように、たのしげに、
明るい街をあるきます。月のひかりはそれを見て、
そっとためいきついてから、
誰も貰わぬ、たくさんの、
影を瓦にすててます。それを知らない人たちは、
あかりの川のまちすじを、
魚のように、とおります。
ひと足ごとに、濃く、うすく、
伸びてはちぢむ、気まぐれな、
電燈のかげを曳きながら。二
月のひかりはみつけます、
暗いさみしい裏町を。いそいでさっと飛び込んで、
そこのまずしいみなし児が、
おどろいて眼をあげたとき、
その眼のなかへもはいります。
ちっとも痛くないやうに、
そして、そこらの破ら屋が、
銀の、御殿にみえるよに。子供はやがてねむっても、
月のひかりは夜あけまで、
しずかにそこに佇ってます。
こはれ荷ぐるま、やぶれ傘、
一本はえた草にまで、
かわらぬ影をやりながら。
「昼間のように明るい夜の街を、みすゞさんが知っているなんて!」
大正時代に活躍したみすゞさんが、このような詩を書いていることに驚きました。
現代でも都会では、月や星が霞んで見えますよね。そのことを寂しく感じるのですが、みすゞさんはすでにこの寂しさを言葉にしていました。
「ひろいお空」という詩を、以前ここで紹介したときも、同じようにびっくりしました。この詩では、建物に挟まれた長細い空が描かれています。

これらの詩に描かれた街は、大正浪漫を匂わせています。ところが、そこに歌われている想いは、時代を先取りしています。
さて、「月のひかり」は、明るい街から暗い裏町へと移ります。そして、破ら屋に住むまずしいみなし児を見つけます。
「月のひかり」はみなし児の眼に入って、夜明けまで静かに照らします。
みすゞさんならではの、優しい詩ですね。
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