茨木のり子「なれる」…詩集『歳月』より

茨木のり子さんが、先立たれた夫への想いを綴られた詩集『歳月』

当ブログでは、この詩集から4つの詩を紹介する予定です。

3回目の今日は、「なれる」についてです。

※前回の記事はこちら⇒茨木のり子「急がなくては」…詩集『歳月』より

なれる

おたがいに
なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど

三十三歳の頃 あなたはそう言い
二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの
おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない

狎れる 馴れる
慣れる 狃れる
昵れる 褻れる
どれもこれもなれなれしい漢字

そのあたりから人と人との関係は崩れてゆき
どれほど沢山の例を見ることになったでしょう
気づいた時にはもう遅い
愛にしかけられている怖い罠

おとし穴にはまってもがくこともなしに
歩いてこられたのはあなたのおかげです
親しさだけが沈殿し濃縮され
結晶の粒子は今もさらさらこぼれつづけています

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茨木のり子「なれる」~鑑賞・解説~

わたしたちの出発点

「おたがいになれるのは厭だな」という会話を、茨木のり子さんがあなた(夫の安信さん)が交わしたのは、ここに記されている年齢から考えると、おふたりが新婚の頃でしょう。

この思いを出発点として、おふたりは親しさを深めていきました。

「今まで誰からも教えられることなくきてしまった大切なもの」とありますが、血の繋がった家族と暮らしているうちは、家族となれ合っているなんて、なかなか気づきにくいと思うんですよね。

特に肉親に対しては、「〇〇してくれて当然」と思い込みがちです。(母が食事を作ってくれて当然だとか、父が学費を払ってくれて当然だとか)

ところが、いざ他人と生活を共にすると、「〇〇してくれて当然」と相手に押し付けることが、いかに幻想であるか気づきます。

たとえば、一杯のお茶を相手に淹れてもらうことだって、決して当たり前ではないんですよね。どんなにささやかであっても、相手の親切は有難いものです。

あなたのおかげです

「有難い」とは、「有る」ことが「難い」。

つまり、「滅多にない」「勿体ない」「貴重だ」という意味があります。

茨木のり子さんと夫の安信さんが、なれなれしさの落とし穴にはまることがなかったのは、お互いをいつまでも有難く感じていたからでしょうね。

「歩いてこられたのはあなたのおかげです」という言葉から、止めどない感謝が伝わってきます。

初々しさが大切なの

さて、茨木のり子さんの「汲む―Y・Yに―」という詩に、このような詩句があります。

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人と思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

(部分)

これは女優の山本安英さんが、若き日の茨木のり子さんに対して、語りかけた言葉です。

「なれる」の詩に話を戻すと、茨木のり子さんは夫の安信さんに対しても、初々しさを貫いてきたのではないかと思います。

「なれる」と「汲む―Y・Yに―」の詩は、この記事を書いている私自身が、初々しさを失くしてしまいそうなときに、よく思い出します。

これらの詩の精神になれ切ってしまうことなく、これらの詩と付き合っていきたいです。

 

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