詩集『歳月』は、茨木のり子さんが最愛の夫への想いを綴った恋愛詩集です。
1975年、茨木さんは夫の安信さんに先立たれます。それから31年の長い歳月をかけて、40篇近い詩を書き溜めていきましたが、これらの詩はずっと秘められて公表されないままでした。
2006年、茨木さんは夫の元へ突然旅立っていきました。生前の意思を受けて、2007年に詩集『歳月』はこの世に送り出されました。
これから当ブログで、詩集『歳月』から4つの詩を紹介する予定です。
1回目の今日は、「一人のひと」についてです。
一人のひと
ひとりの男を通して
たくさんの異性に逢いました
男のやさしさも こわさも
弱々しさも 強さも
だめさ加減や ずるさも
育ててくれた厳しい先生も
かわいい幼児も
美しさも
信じられないポカでさえ
見せるともなく全部見せて下さいました
二十五年間
見るともなく全部見てきました
なんて豊かなことだったでしょう
たくさんの男を知りながら
ついに一人の異性にさえ逢えない女も多いのに
茨木のり子「一人のひと」~鑑賞・解説~
素顔のお付き合い
人は付き合いが深くなればなるほど、お互いのさまざまな面が見えてくるものだと思います。
それこそ怖さだったり、弱さだったり、ずるさだったり……。
ふつうだったら、顔を背けたくなることもあるでしょう。
ところが茨木のり子さんは、夫のありとあらゆる面を、その目で全部見続けてきました。
ここでポイントなのが、付き合いが単純に長いのと深いのは違うこと。一緒にいる時間が長くなると、どうしてもなれ合いが生じてしまうと思います。
「いつもこの人は〇〇なんだから!」決め付けていてもダメ。
「どうして〇〇してくれないの!」と押し付けてもダメ。
やはりお互い素顔をさらけ出していかなければ、お互いのさまざまな面は見えないと思うんですね。我を張っていたら、そこで関係は終わってしまいます。
「見せるともなく」「見るともなく」ということは、お互い意識することなく素顔を見せあっていたということですよね。
このように豊かに付き合えたおふたりが、とても羨ましいです。
一人は賑やか
さて、茨木のり子さんの作品に「一人は賑やか」という詩があります
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しいおおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな(部分)
私は「一人のひと」と「一人は賑やか」は、まるで姉妹関係のような詩に思います。
茨木のり子さんも、夫の安信さんも、おそらく一人でいても賑やかな人だったのではないでしょうか。
だから一緒にいても寂しいことがなく、付き合いを深めることができたのですね。
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