茨木のり子の詩「さくら」…ひとは生涯に何回さくらを見られるか

茨木のり子さんは、私が敬愛してやまない詩人の一人です。

茨木さんは1926年(大正15年)に、大阪で生まれました。青春時代は戦争の真っ只中で、19歳の時に東京で終戦を迎えました。

代表作は「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」「倚りかからず」など。

どの詩も凛としていて、読む人の心を奮い立たせます。

その茨木さんが「さくら」の詩を書いているので、紹介しますね。

さくら

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

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茨木のり子「さくら」~鑑賞・解説~

茨木のり子さんの「さくら」。いかがでしたでしょうか。

私は最後の二行に、ハッとさせられました。もう一度、引用しますね。

死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

私たちは生きているのが当たり前で、死は遠い先で揺らいでいる未来のように感じてしまいがちです。

でも本当は、死によって根本的に支えられていて、生は一瞬だけ咲いて散っていくような花なのですね。

そう、この命だって、明日尽きてしまっても全くおかしくありません。

そしてこの命は、亡き祖先から受け継いだものです。そう考えると、なおさら死によって生かされていると言っていいでしょう。

かの戦争では、多くの祖先が血を流して亡くなられました。

茨木のり子さんは生き抜いて、「さくら」の詩を残してくれました。

私はこの詩こそ、奇跡と感じたいです。

 

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