茨木のり子「歳月」…詩集『歳月』より

茨木のり子さんが、先立たれた夫への想いを綴られた詩集『歳月』

当ブログでは、この詩集から4つの詩を紹介します。

最終回の今日は、詩集の表題と同じ「歳月」という詩についてです。

※前回の記事はこちら⇒茨木のり子「なれる」…詩集『歳月』より

歳月

真実を見きわめるのに
二十五年という歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからず憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう と
互いに首を締めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

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茨木のり子「歳月」~鑑賞・解説~

『歳月』の表題について

「歳月」の詩は、詩集『歳月』の最後をかざる作品で、詩集の表題の元となっている作品です。

茨木さんらしい詩集の表題だと思うのですが、この表題を決められたのは、実は茨木さんではありません。茨木さんが表題を決めずに他界されたためです。

詩集の編集に携わった、甥の宮崎治さんは、次のように仰っています。

いろいろ考えた末、最後に収録した「歳月」と名づけられた詩のタイトルが、この詩集の表題として最もふさわしいと考えた。これも祖母の意思ではないことを強調したい。

一日っきりの稲妻のような真実

さて、この詩で目に飛び込んでくるのは、最後のこの言葉。

たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

「一日っきりの稲妻のような真実」とは、まさに詩のようだと思います。

詩は小説と比べると、ほんのわずかな言葉ですが、人の一生に響きわたることもありますよね。

茨木のり子さんは、25年間夫とつれそい、30年間一人でこの真実を抱きしめて生き抜いてきました。そして、数々の詩を残してくださいました。

これらの詩を、抱きしめるように生きていきたいです。

 

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