八木重吉は29年の短い生涯のなかで、3000編近い詩を残しました。
どの詩も野原の草花のように美しいですが、たったひとつ選ぶとしたら、私はこの詩を選びます。
素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう
八木重吉「素朴な琴」
詩の鑑賞と解説
素朴な詩
八木重吉の「素朴な琴」は、ご覧のとおりたった4行の詩です。
重吉の詩は、もともと短いのが特徴です。重吉の二冊の詩集(「秋の瞳」「貧しき信徒」)をめくると、このように短い詩がポツポツと並んでいるのが見られます。
子どもの何気ない一言に、大人がハッとさせられるように、重吉の詩は飾り気がないゆえに、読む人の心にストンと響きます。
作りこんでいるという感じが、全くしないのです。
たとえば、子どものように純粋な詩を書ける詩人がいたとしても、リズムを整えたり、リフレインを使ったりと、どこかで言葉の工夫をこらしていることが少なくないです。
ところが重吉の場合は、そういった技巧すら飛び越えて、ありのままの心を言葉にしているようなところがあります。
誰にでも書けそうで、重吉にしか書けない詩です。
話を戻して、「素朴な琴」も4行という短い言葉のなかにも、想像力をかきたてるような世界が広がっています。
秋だから心に響く
「素朴な琴」は、日本の琴でしょうか、西洋のハープでしょうか。
素朴という言葉から、ギリシャのリラのように小さく抱えられる琴を、私は連想します。
その琴が秋の美しさに耐えかねて、静かに鳴り出だすのですね。
重吉の詩には、秋が描かれている詩が多いです。第一詩集の題名も、「秋の瞳」というくらいです。
この詩の季節は春や夏や冬でなく、秋だからこんなにも心に響くのだと、私は思います。
秋は後ろに、寒く厳しい冬を控えています。それを目前にして、最後に明るく輝くような季節です。空気は澄み切って、紅葉や果実は色鮮やかです。
詩の世界の奇跡
琴がひとりでに鳴るのは、現実の世界ではありえないこと。
これは詩の世界だからこその奇跡です。
もしかしたら、秋風が琴をかき鳴らしたとも解釈できますが、それよりも琴が自ずと内側から鳴ったと解釈した方が自然でしょう。
まるで琴が生きているような、自分の分身にさえ思えます。
この詩を読むと、ひとつの琴とひとりの自分が通じ合うような奇跡も、不思議と感じられます。
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