高村光太郎「レモン哀歌」の背景と解説…詩集『智恵子抄』より

高村光太郎の詩集『智恵子抄』がこの世に誕生していなければ、日本の詩の歴史は今とかなり違う歩みをしていたでしょう。なかでも「レモン哀歌」を外すことは考えられないです。

詩集『智恵子抄』は、高村光太郎が最愛の人・智恵子について約40年間にわたって書きとめた詩をまとめたものです。「レモン哀歌」が貴重なのは、最愛の人が亡くなる瞬間がそこに描かれているからです。

人の誕生が一大事なら、死もまた一大事。

多くの人が教科書などでご覧になっている詩かと思いますが、改めて紹介いたします。

レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉のどに嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

昭和一四・二

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高村光太郎「レモン哀歌」

「智恵子抄」のあらすじ

まずは「レモン哀歌」の背景にある、光太郎と智恵子の出会いから死別までを、駆け足で説明します。

光太郎は若いころ、ニューヨーク・パリ・ロンドンに3年間留学し、帰国してからは葛藤に苛まれます。

有名な彫刻家の父・高村光雲との確執もありましたし、日本の狭く旧い体質に対する嫌悪感もありました。光太郎はこれらの悩みを抱えて、廃退的な生活に溺れていました。

光太郎をどうしようもない孤独感から救ってくれたのが、長沼智恵子でした。智恵子は当時では珍しい女性洋画家の道を志し、純粋まじめな女性でした。

光太郎と智恵子は、大正3年から東京のアトリエで同棲とはじめます。

今でいう夫婦別姓・半別居婚の、当時としては新しく自由な形の結婚生活でした。智恵子は当初は長沼姓を名乗り、一年のうち数か月は実家の福島で過ごしていました。

ところが結婚から十数年後。智恵子は統合失調症(当時でいう精神分裂病)の兆しが現れ、自殺未遂を図ります。

智恵子が精神を患ったのには、いくつか理由が考えられます。主な理由を挙げると以下の通り。

  1. 実家の没落(智恵子の実家は酒造家で大家族でしたが、破産して一家離散となりました。経済的・心理的な支えを失くしたことは、智恵子にとって大打撃でした)
  2. 芸術制作に絶望(智恵子は油絵画家を目指していましたが、満足できる絵を完成させることができず、悩み苦しみました)
  3. 先天的な器質(完璧主義で内向的で、きわめて純粋な性格から、智恵子は自らの精神を追いつめていたのではないかと考えられます)

智恵子の病状は悪化して、東京南品川のゼームス坂病院に入院します。

そして、1938年(昭和13年)の10月5日、智恵子は息を引き取ります。その臨終をうたったのが「レモン哀歌」です。

「レモン哀歌」が悲しくも美しい理由

「レモン哀歌」が悲しくも美しいのは、光太郎・智恵子の長きに亘る愛情が、最期の一瞬にようやく通い合っているからです。

最愛の智恵子が精神を病み、意思疎通が困難になってからの光太郎の苦労は、想像を絶します。ところが命の瀬戸際で、奇跡が起きたのですね。

二人の心が通い合っていると感じさせるものが、二つあります。

大自然につながるレモン

ひとつは、この詩に書かれているレモン

光太郎が持参したレモンの香気に洗われ、智恵子の意識は正常に戻ったといいます。

智恵子は一生涯、新鮮で透明な自然を求めて止まない人でした。たびたび福島の郷里に帰り、東京でも植物を栽培したり、野菜を生食するなど、さまざまな方法でその要求を満たそうとしました。

すがすがしいレモンは、智恵子を大自然へ、そして光太郎へとつなげたのでしょう。

返歌としての切抜絵

もうひとつは、この詩には書かれていませんが切抜絵

智恵子は入院中に、千数百枚にわたる切抜絵を作成します。そして最期の日に、切紙絵をまとめて光太郎に手渡します。

この切紙絵が、実に素晴らしいのです。

身の回りにある花や果物などを絵にしているのですが、優美で繊細ななかにも、あどけなさがあります。

絵に表わしたものに対して、そして、光太郎に対しての愛情を感じます。

『智恵子抄』の詩が、光太郎から智恵子へ歌われたものなら、切抜絵は、智恵子から光太郎への返歌のようにさえ思えます。

少し長くなりますが、智恵子が亡くなる時について書かれた光太郎の文章を引用しますね。

精神は分裂しながらも手は曾て油絵具で成し遂げ得なかつたものを切紙によつて楽しく成就したかの観がある。百を以て数へる枚数の彼女の作つた切紙絵は、まつたく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。(中略)最後の日其を一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、荒い呼吸の中でかすかに笑ふ表情をした。すつかり安心した顔であつた。私の持参したレモンの香りで洗はれた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去つた。昭和十三年十月五日の夜であつた。

 

コメント

  1. りん より:

    とても深い味わいがある詩だと思いました

    • kotoba より:

      りんさま
      はじめまして。コメントありがとうございます。
      「レモン哀歌」は仰る通り、とても味わい深い詩ですね。

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