三好達治の美しい叙情詩「乳母車」…淡くかなしきもののふるなり

三好達治の詩「乳母車」を初めて目にしたとき、その美しさに息を零しそうになりました。

三好達治の代表作であることはもちろん、日本を代表する抒情詩といっても過言ではないでしょう。

さっそく紹介いたしますね。

乳母車

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花あぢさゐいろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
※(「車+隣のつくり」、第3水準1-92-48)りんりんと私の乳母車を押せ

赤いふさある天鵞絨びろおどの帽子を
つめたきひたひにかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道

※発表:1926(大正15)年。『測量船』所収。

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三好達治「乳母車」~鑑賞・解説~

「乳母車」の詩には、母に対する切ない慕情があふれています。

三好達治は6歳から養子に出されますが、長男のため籍を移せず、結局は祖父母の元で11歳まで暮らした過去があります。

幼い日に得られなかった母の愛を切望して、この詩を書いたと考えられます。しかし、個人的な叙事詩にとどまらず、普遍的な抒情詩として昇華させたところに、この詩の魅力があります。

第一詩集『測量船』には、母への憧憬が描かれた作品として、「乳母車」と共に「郷愁」という散文詩があります。フランス文学に造詣が深い、三好達治らしい作品です。

以下、引用いたしますね。

郷愁

「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

(部分)

なお、「乳母車」も「郷愁」も、高校の国語の教科書に採用されたことがあります。

詩の解釈例

「乳母車」を連ごとに分けて読み解いてみましょう。詩を読むときの参考にしてくださいね。

第一連と第四連は現在、第二連と第三連は過去の情景と考えられます。

第一連

「母よ――」と呼びかけて、一気に読者を詩世界へと誘います。心をとらえて離さない冒頭。この第一連だけで、詩世界は完結しているのではないかとさえ思います。

淡くかなしきもののふるなり/紫陽花あぢさゐいろのもののふるなり

この二行は同じものを意味しています。母に対する淡く、心を滲ませるような記憶が、この二行に重なるようです。

「はてしなき並樹」は、第四連の「道」に繋がっているように見られます。

第二連

「たそがれ」とは、人の顔の見分けがつかなくなるような夕暮時。

「私」は母に向かって、乳母車を押すように願います。「押せ」とあえて短く命令形で乞うことで、言葉の切り口から思いがほとばしるようです。

※(「車+隣のつくり」、第3水準1-92-48)々」は、車が軋りゆく様子のこと。

「泣きぬれる夕陽」は、夕陽が瞳をぬらしているようにも、過去をふり返る現在の「私」が涙を流しているようにも受け取れます。

第三連

目に鮮やかな「赤」は視覚に、温かそうな「総ある天鵞絨」は触覚に訴えます。「つめたき額」と対比しているのが効果的です。

「旅いそぐ鳥の列」は、渡り鳥のことでしょうか。鳥にも帰る場所があり、群れをなす仲間がありますが、母からはぐれて孤独である「私」と対照的です。

第四連

第一連の主題に再び戻ります。第一連と比べると、より遠くから情景を眺めているようです。

「この道は遠く遠くはてしない道」は、「私」のその後の人生のようにも、止めどない母への思いのようにも感じられます。

 

※三好達治の代表作「雪」にも、母の気配があります。詳しくはこちらをどうぞ。

コメント

  1. 蔀 捷太郞 より:

    詩の解釈、ありがとうございました。長年不思議な魅力ある詩と思って、これまで少なくとも数度は熟読して自分なりに解釈してきましたが、今一埒が明きませんでした。今初めて作者が幼時に母と離ればなれにならなかったという事情を教えて頂き、なるほどそういうことかと納得がいきました。「母よ・・・押せ」という命令口調もそれで心から納得がいきます。
    時は夕刻、しかも晩秋でこれから寒い、暗い、寂しい時期に向かうのですから、余計,母親に甘えたい、一方自分は男の子なので凜々(原詩と違う字ですが私の辞書には無いのです)と雄々しく自分を励ましていて欲しかったのでしょうね。

    • kotoba より:

      蔀 捷太郞さま

      はじめまして。
      温かなコメントありがとうございます!

      蔀さまの仰るとおり、「乳母車」は不思議な魅力ある詩ですよね。
      コメントを頂いたことをきっかけに、改めてこの詩を読み返してみたのですが、今も胸に染み入るものがあります。

      「轔々」は、車輪のきしむ音を意味するそうです。
      (WEBの辞書で見つけたので、参考までにリンクを載せておきますね)

      https://kotobank.jp/word/%E8%BD%94%E8%BD%94-660242

      私もこの響きから、「凜々」という言葉が思い浮かびます。
      本当に、凜々と励まして欲しかったのかもしれませんね。

  2. 蔀捷太郞 より:

    kotoba様

    私の拙いコメント(しかも文中に誤りがありまして、「離れ離れにならざるをえなかった」と書いた積りでした)をお読み下さいました上にお言葉を頂けるとは本当に思ってもみませんでしたので、今日まで貴方さまのこのコラム(?)を再見することなく、過ごしてしまいました。ごめんなさい。しかも今、真夜中で老人の私はそろそろ寝ないといけませんので本日は一言御礼だけ申し述べ失礼致します。後日もっと色々ご教示お願いしたいと厚かましく思っております。よろしくお願い致します。

    • kotoba より:

      蔀 捷太郞さま

      度々のコメント、とても嬉しく拝見いたしました。
      ありがとうございます。
      また何かございましたら、お気軽にお声がけくださいね。
      どうぞよろしくお願いいたします。

      • 蔀 捷太郞 より:

        kotoba様

        今朝改めて先生の文章を始めから読み直しました。この詩の全体がはっきりと見えてくるようで爽やかな気分になります。ありがとうございます。
        今までの私はご教示の内容に衝撃を受け、憑かれた様に、又は夢遊病者のように、頭に浮かんだを書き送った次第です。ご無礼をここに深謝致します。
        さて、今日は次の二件です。①「りんりん」の漢字、kotobankで調べました。有り難うございます。それ程詳しくはないのですが、三省堂の大辞林にも載っておりまして粗忽者の自分にあきれています。それにしても車が軋む「りんりん」は、音も文字も正にこの詩の情景にぴったりで、言葉に生きる詩人の技量の深さに驚き入るばかりです。 ②先生の解説文の第一行目「その美しさに息を?しそうに・・・」とありますが?の箇所に入っている文字教えて下さい。

        • kotoba より:

          蔀 捷太郞 さま

          こんにちは。
          度重ねてコメントありがとうございます!

          私は先生ではなくて、詩の愛好家に過ぎないので、気楽にお付き合いくださいね。

          ①「りんりん」の漢字は、常用漢字ではないので、大辞林のような大きい辞書でないと掲載されていないのかもしれませんね。
          三好達治の言葉に対する知識とセンスに、私も脱帽です。

          ②「その美しさに息を零(こぼ)しそうになりました。」
          以上のように表記しています。

          • 蔀 捷太郞 より:

            kotoba様

            早速のご指導ありがとうございました。お言葉に甘えてこれからも質問したいことをいくつかお送りさせて頂きます。よろしくご指導下さい。
            さて今回は、轔轔をめぐっての新たな感想です。始め私は凛々のような、りりしさを感じ取っていたのですが、これは勇み足で間違いである事に気がつきました。轔轔は音こそリンリンですが、実態(つまり詩の中)は乳母車の回る、きしる音なのですね。すると、そこには一抹の哀切な響きが聞こえる気が致します。僕もそうだが、僕以上に母は辛かったのではないか泣き濡れている母に向かって、「母さん頑張ってくれ、乳母車を力をこめてしっかり押してくれないと止まって動かないよ。僕は大丈夫だから母さんこそ気を強く持って生きていってね。」母への思慕でも、母への哀切の情を強く感じてしまいました。いけませんでしょうか?

          • kotoba より:

            蔀 捷太郞 さま

            こんにちは。
            いつもありがとうございます。

            蔀さまから「轔々」をめぐる新たな感想を聞いて、目から鱗が落ちました!
            乳母車のきしる音は、心がきしる音。微かな悲鳴のような、哀切な響きが、そこに込められていそうです。

            詩の解釈に、間違っていることやいけないことなど、全くないと思うんですね。
            どう感じても正解とでも言うのでしょうか。
            もっと言うと、詩は解釈するものというより、味わうものだと実感しています。

            たとえば、轔々から凛々を連想するのも、とても面白いです。
            「凛々」には元々、寒さが身にしみるという意味もあります。
            この詩の季節が、秋から冬にかけてだとしたら、その空気感にもぴったりです。

  3. 蔀 捷太郞 より:

    kotoba様

    いつも丁寧にお読み下さり、感謝申し上げます。また、お褒めのお言葉も賜り、舞い上がりそうな気持ちを抑えて今日も質問させて頂きます。
    ① 息を零すという表現は私未熟者には初めて出会った言葉です。本当の意味
    を知りません。恐れ入りますが教えて下さい。
    ② 詩に戻ります。「紫陽花いろのもののふるなり」ですがこれも長年理解出来ずにおりました。何色の紫陽花なのでしょうか、それとも決まった色ではなく、これも読者の感覚に任せているのでしょうか? 「淡くかなしき」という表現にふさわしい花であると思いますが、何故、紫陽花が出て来たのでしょうか、母と紫陽花が何らかの事情で結びついている、例えば母の住む里には季節になると紫陽花が辺り一面咲いていたとか。余り詮索するのも考え物ですが教えて頂けたら幸いです。よろしくお願い申し上げます。

    • kotoba より:

      蔀 捷太郞 さま

      こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      ①「息を零す」の意味ですか?
      おそらく慣用句ではないので、意味を知らなくても、恥ずかしいことではないですよ。
      感嘆の息をつくことを「息を漏らす」と言いますが、それをもっと自分の想いに添うように現したくて、「息を零す」と書きました。
      私としては「零す」と表記した方が、純度を増すような気がします。

      ②「紫陽花いろのもののふるなり」について、
      私も何色の紫陽花なのか、何故紫陽花なのかは、残念ながら分からないです。
      お役に立てず、申し訳ございません。
      蔀さまの仰るとおり、三好達治は読者の感覚に任せているのだと思います。

      三好達治は、詩の手引書「詩を読む人のために」において、
      「詩は各自めいめいの心でよむべきものです」と語りかけています。
      あらゆる詩においてそう考えている詩人のことですから、
      自作の詩に対しては、なおさら読者の自由を尊重しているのではないでしょうか。

      蔀さまの想像のままに読んで、大丈夫だと思いますよ。
      むしろそうした方が、楽しいのではないかと思います。

      • 蔀 捷太郞 より:

        kotoba様

        いつも沢山のご教示ありがとうございます。今回は特に色々な観点から自由に
        自分の想像力を駆使して詩の鑑賞をするのが作者の意図に適うものであることを教えて頂き詩の勉強のよりどころになりました。これからも頑張りますからよろしくお願い致します。
        尚、いきをこぼすを漢字変換すると「息を零す」と雨冠の零すしか表示されないのですが、これでよいのでしょうか?先生の表記の字と違います。

        • kotoba より:

          蔀 捷太郞 さま

          こんにちは。
          私のつたない返信が参考になっているのなら、ありがたいです。

          ところで「零す」の字は、私としては雨冠の「零す」を書いているつもりです。
          端末によっては、フォントの文字要素が省略されている場合もあるかもしれません。
          (雨冠の四つの点が、二つの点に省略されているなど)
          ただ、蔀さまがご覧になっている端末について、どのようになっているかまでは分かりかねます。
          ご了承くださいませ。

          • 蔀 捷太郞 より:

            kotoba様

            私のすべての疑問点にお答え頂きまして感謝の申し上げようがございません。有り難うございました。どうかこれからもよろしくご指導下さい。
            私は詩の愛好家という程のことはなく、偶々(例えば学校の教科書等で)
            出会いがあった詩で、自分の心を捉えたものを暗唱して長年覚えているのです。年と共に忘れていきますが、ふと思い返すきっかけがあると夢中になります。乳母車の詩は正にそういうことでした。長年の疑問を一挙に解決すべく意気込んでしつこく質問させて頂きましたご無礼お許し下さい。
            今後は他の詩人の詩を勉強させて頂きたいと考えております。

          • kotoba より:

            蔀 捷太郞 さま

            ありがとうございます。

            何度も申し上げて大変恐縮ですが、私は先生ではないので、指導できることなど何ひとつございません。

            どうか蔀さまが心のままに詩を楽しめるよう、陰ながら願っています。

  4. 谷口住江 より:

    夕日に向かって、幼い私が妹の乳母車をおしていた思い出があり、心にしみます。詩とは、心ですね。詩は死ですね。寂しい思い出です。神戸の再度筋の坂道の家の横に、今の大阪の家にあったお地蔵さんが移転されていたので、びっくりしました。なんだか、私の家の幼い歴史を知っている方がおられるのでしょうか? 妹をのせて引いていた幼い頃の私に強烈に惹きつけられるのが、この詩人の詩でした。

  5. 谷口住江 より:

    私が4歳のとき、妹を乳母車にのせて、乳母車を引いていました。妹は、本当に、大切で可愛かった。この大切な妹を亡くしてしまいました。悲しい思い出とともに、母よ、乳母車をひけを隠喩しているようです。思い出します。悲しいです。

    • kotoba より:

      谷口住江さま
      貴重な思い出をお聞かせいただき、ありがとうございます。
      この詩のように、大切な妹さんを乳母車にのせたことがあるのですね。
      「詩とは、心ですね。詩は死ですね」……谷口さまのお悲しみが、胸に沁みます。

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