石垣りんさんの「朝のパン」は、気持ちがほっこりとあたたかくなる詩です。さっそく引用しますね。
朝のパン
毎朝
太陽が地平線から顔を出すように
パンが
鉄板の上から顔を出します。
どちらにも
火が燃えています。
私のいのちの
燃える思いは
どこからせり上がってくるのでしょう。
いちにちのはじめにパンを
指先でちぎって口にはこぶ
大切な儀式を
「日常」と申します。
やがて
屋根という屋根の下から顔を出す
こんがりとあたたかいものは
にんげん
です。
石垣りん「朝のパン」
私のいのちの燃える思い
「朝のパン」にはたった一か所だけ、私という一人称が出てきます。
私のいのちの
燃える思いは
どこからせり上がってくるのでしょう。
太陽の火と、パンを焼く火に対して、私のいのちの燃える思い。
それがどこからせり上がってくるのか、問いかけているところに、この詩の要があると思います。
しかも簡単に答えを出さないで、読者にゆだねているのがいいですね。
詩は容易く解けない知恵の輪のように、言葉が絡み合っているのが魅力的ですが、難しすぎると、解く気にもなれないです。
それに対して、石垣りんさんの「朝のパン」は、シンプルな言葉で、シンプルにいのちについて問いかけているから、読者はまるで自分のことのように感じられるのですね。
日常という儀式
太陽の恵みと、パンをはじめとした食物を取り入れて、私たちは生きています。
いちにちのはじめにパンを口に運ぶ、儀式としての日常は、決して当たり前のことではありません。これを日々くり返すことで、いのちをつなぐことができます。
朝のひとときに、慣れ切ってしまわないで、大切に過ごしていきたいものです。
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