人を愛した時、身も心もその人が好きでたまらなくなるかと思いますが、その時、心と身体はどのように関わり合っているのでしょう。
吉野弘さんの「身も心も」という詩では、その関係性について、ありありと描いています。
身も心も
身体は
心と一緒なので
心のゆくところについてゆく。心が 愛する人にゆくとき
身体も 愛する人にゆく。
身も心も。清い心にはげまされ
身体が 初めての愛のしぐさに
みちびかれたとき
心が すべをもはや知らないのを
身体は驚きをもってみた。おずおずとした ためらいを脱ぎ
身体が強く強くなるのを
心は仰いだ しもべのように。強い身体が 心をはげまし
愛のしぐさをくりかえすとき
心がおくれ ためらうのを
身体は驚きをもってみた。心は
身体と一緒なので
身体のゆくところについてゆく。身体が愛する人にゆくとき
心も 愛する人にゆく。身も心も?
吉野弘「身も心も」~鑑賞・解説~
心と身体の関係は?
たとえば、とても愛する人ができたとします。
はじめのうちは、心が身体から飛び出しそうで、「わたしのどこに、こんなエネルギーが秘められていたんだろう?」と、心は驚いてしまいます。
自然と頬がゆるみ、胸が高鳴り、その人の元へとまっしぐらに駆けていきます。
で、心がはやるままに会って、いざその人に初めて触れたとき、今度は身体が驚いてしまうんですね。
さっきまで、身体をあんなに動かしていた心が、急におずおずしているから。
身体の方は案外、肌と肌が触れ合っていることがしっくりして、続きを求めてしまうのですが、心がためらってしまいます。
「大丈夫だよ」と、身体は心を励ましながら引っぱっていきます。
生命そのものを肯定
恋愛しているとこんな風に、心が身体をリードしていたかと思えば、逆転するときもあります。
心と身体は、二人三脚でもしているみたいに一体だけれど、どちらかが早まったり、どちらかが遅くなったりと、微妙に足並みがそろわないこともあります。
心身のズレを大らかな眼差しで包み込んで、いとおしく感じさせるのが、「身も心も」という詩の魅力です。
ところで私自身は女性ですが、男性の吉野弘さんにもこんな心身の感覚があるのかと、共感を覚えると共にびっくりしました。
この詩には仄かなエロチシズムがありますが、初々しく健康的なので、ちっとも嫌な感じがしないんですよね。爽やかで清々しいです。
恋愛に限らず、生命そのものを肯定している詩です。
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